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孟子の教え 受験生にエール2



人生は考え方ひとつで大きく成功に向かいます。また、人生成功のポイントは「成功する考え方を身につけること」に尽きます。

この記事を読んでくれている受験間近のみなさん、悔いは絶対に残すようなことはしないで下さい。持っている力を全て出し切って欲しい。

そこで志望校合格を勝ち取るには、「成功する考え方を身につける」こと、弱い自分に打ち克つ強い意志が絶対に必要なんだ。

そして大きな事を成し遂げようとするときには、必ずと云っていいほど、諸々の不安や誘惑や困難が襲いかかってくるもので、予めそういった不安要素に負けないように事前準備して心構えをもって大戦さに臨んで欲しいものです。


『孟子(もうし)』に次のような言葉が出てくる。

「天の将(まさ)に大任(たいにん)を是(こ)の人に降(くだ)さんとするや、必ず先(ま)ず其(そ)の心志(しんし)を苦しめ、其の筋骨を労(ろう)せしめ、其の体膚(たいふ)を餓(う)えしめ、其の身行(ふるまい)を空乏(くうぼう)せしめ、其の為(な)さんとする所を払乱(ふつらん)せしむ。心を動かし性を忍ばせ、其の能(よ)くせざる所を曽益(増益)せしむる所以(ゆえん)なり。」

<解釈>
「天が重大な任務をある人に与えようとする時には、必ずまずその人の精神を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、その肉体を飢え苦しませ、その行動を失敗ばかりさせて、そのしようとする意図と食い違うようにさせるものだ。これは天がその人の心を発憤させ、性格を辛抱強くさせ、こうして今までにできなかったこともできるようにするための貴い試練である。」

難関校を目指すということは、将来、人の命を預かったり、人を裁いたり、人を教え導いたり、会社や地方や国を背負ったりするような仕事を目指すということだ。

誘惑に負けたり、苦難に耐えられず簡単に物事をあきらめてしまうような人物が、もしこのような仕事に就いたとしたら世の中はどうなる?

受験間近だからこそのプレッシャー。途中で大きな苦難にぶちあたっても、自分に課せられた試練と思い、絶対にくじけるなよ。

精神面の強さは受験だけでなく、社会に出てからも有益な武器となるのだから!!


絶対合格するための受験の心得とは、 「楽観的に想像し、悲観的に計画し、楽観的に実行する!」です。


最後に受験は勝負事です。まさしく勝ち負けの世界。志望校合格における競争相手は、自分と同等の実力を持っているものたちです。
 
自分より遥かに実力が上の者は、自分と同じ学校は受験しません!
自分より遥かに実力が下のものも、自分と同じ学校は受験しません!
自分と同じような実力を持つ者が、自分と同じ学校を受験して競争するのです。
 
 
同じ実力を持った者達が競い合ったとき、合否を分ける一番の要因は精神面の強さ、考え方、心構えです。

悔いを残して欲しくない、以上が私からのエールです。最後の踏ん張りです。頑張ってくださいね。

積小為大 受験生にエール

小さなことを積み重ねることで大きなことを為す。元気になる言葉です。

今、この記事を読んでくれている受験生は、とにかく受験突破を果たし

志を遂げようと最後の頑張りに精魂尽くしていることと思います。

プロフェショナルほど小さなことを大切にする

プロフェッショナルになればなるほど、小さなことを大切にしています。と言うより、小さなことに対しても全力を尽くし、それを長年積み重ねられる人がプロフェッショナルになると言ったほうがよいかもしれません。

勉強の達人になるには、まずは、どういった目標を持って受験勉強に臨むのかという根幹を定めなければなりません。そして目標が決まれば今出来る事を明確にして一つ一つこなしていくしかないんですよね。

まさにイチローの歩みこそ積小為大

プロフェッショナルといえば、みんなも知っているメジャーリーグのイチロー選手。イチローは1本1本の安打という「小」を無数に積み重ねて、MLB通算安打数3 0 3 0、日米通算安打数4308と快挙を続けている。華やかなホームランよりも、目立つことの少ない安打をコツコツコツコツと地道に積み上げることが最も偉大な成果に結びつくのだと信じて日々、小さな努力を積み重ねています。


経営の神様と言われた松下幸之助さんら偉業を成し遂げた人々は、「小さなことをおろそかにしないことが成功への道」と説いています。特に、事業というものは、世の中から必要とされるものを、正義と道徳心に従い使命感をもって取り組み、それを長く続けて初めてカタチになるもの。

また、受験生諸君も「小さいことに励めば大きなことは必ず成就する。小さいことを軽んずる者には大きなことはできない。」まずは、目の前のことに最善を尽くし、その積み重ねが大きな成果につながるということを肝に銘じて下さい。


今も多くの小学校の校庭に薪を背負って書を読む「二宮金次郎」。像があるので知っているよね。

「積小為大」は、二宮金次郎の教えとして、現在でも語り継がれている熟語です。

大事をなさんとすれば

小なる事をおこたらず勤むべし

小積もりて大となればなり

およそ小人の常、大なる事を欲して、小なる事をおこたり、

出来がたきことを憂いて、出来易きことを勤めず

● 現代語訳:

大きなことをやり遂げるには、小さなことは怠らず、コツコツ積み重ねることが大切だ。目の前の小さなことをコツコツコツコツ積み重ねてこそ、デカイことを成し遂げることができるのだ。

世の小市民はデカイことを言ってやってやろうと口ばかり。小さな努力も出来ず、やっぱり俺には無理!と嘆くだけで、簡単に放り出してしまう。

● 受験生バージョン:

志望校に合格しようと思ったら基本的なことを怠らず、毎日コツコツと勉強しなさい。⇒(英単語を覚えたり、問題演習をしたり、やるべきことはいっぱいあります)基本的な実力がつけば、過去問も解けるようになる模試にも強くなる。

合格できない受験生は、いきなり過去問レベルの問題に手を出し、基礎力をつけることをないがしろにして、俺にはこの大学は絶対無理!と嘆いて、やるべき目先のことを投げ出してしまう。

読んでくれている高校生諸君!二宮金次郎さんは本当にすごい人だからネットなどで調べて、その軌跡を大いに参考にして欲しいなぁ。


「一万石の米は一粒ずつ」 「一万町歩の田は一鍬ずつ耕したもの」 「万里の道も一歩ずつ」 など、誰もが理解できる指針。

時代の古今、洋の東西、分野の差異を問わず、歴史を切り開いた人々に共通する条件を一つ挙げるとすれば、困難から逃げなかった人たち、困難をくぐりぬけてきた人たちなのです。

『積小為大(せきしょういだい)』小さなことを積み重ねることで大きなことを為す。

人生の岐路に立ってまさに頑張りの時こそ、賢人の教えに耳を傾けるのも大事なことだと思います。それぞれの立場やレベルで今出来ることをコツコツと積み上げ挑戦することに意味があるのです。

あまりの陽気に戸惑いながら

気温18度、春が来た?


今年の立春、まこと「立春」春らしい日差しでした。(とは云っても、夕方にはグッと寒くなりましたが・・・・)

今年は「例年にない」天候続きで、これからの気候がちょっと心配ですね。

穏やかな一年になってほしいものです。

旧暦のお正月にあたる「立春」の日の早朝に搾り、その日のうちに手元に届く「立春朝絞り(画像)」春を迎えるめでたき立春の日にふさわしい祝い酒。予約制の日本酒です。

立春の日の朝に産声をあげたばかりのお酒で、生まれたての春を祝いました。


梅一輪 一輪ほどの あたたかさ


服部嵐雪

節分の夜に願いを込めて

寒い日が続いていますが、もうすぐ立春。これだけ寒いとなかなかそうは思えませんが、春が確実に近づいてきていますね。

今年は、2月4日が立春で2月3日が節分です。

クリスマスやバレンタインデーに比べると日本の伝統行事の一部は影が薄くなりつつあるように感じますが、伝統行事には先人の知恵が見え隠れすることもあります。

節分の由来は、大晦日の宮中行事だった「追儺」という鬼払い(厄除け)の儀式にあり,本来、節分とは「季節を分ける」という意味です。

したがって、季節の始まりを示す立春・立夏・立秋・立冬の前日はいずれも節分ということになります。しかし、現在では節分といえば立春の前日だけを指すようになりました。

これには旧暦で立春が春の始まりであるとともに年の始まりの基準でもあることが関係しているようです。

そもそも「節分」は「季節が改まる日の前日」を表わし、かつては立春のみでなく、立夏・立秋・立冬と年4回あったようですが、現在では立春の前日のみを「節分」というようになりました。

そんな節分に「豆まき」が行われるようになったのは、室町時代の中期以降との事ですが、一般の家庭において広まったのは江戸時代と言われています。

「福は内、鬼は外」と大きな声で叫びながら豆をまきますが、その意味は「季節の変わり目には鬼が家に入り災いをもたらすため、豆をまくことによって、鬼を追い払う」というものです。

節分の豆まきは、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、その邪気を追い払う儀式として、文武天皇の慶雲3年(706)に宮中で初めて行われたのだそうです。

「鬼は外、福は内」、ふつうはこう言って豆をまきますが、「鬼」という字の付く姓(鬼塚、鬼頭、九鬼など)の家庭や鬼に関係のある神社などでは「鬼は内」とか「鬼は内、福は内」とか「福は内、鬼も内」と言うようです。なぜ、豆をまくのかについては、起源は宮中で鬼の面をかぶった人を追い払う「追儺」(ついな)という行事や寺社で邪気払いとして行なった「豆打ち」の儀式にあるようで、豆には

「豆(まめ)=魔(ま)を滅(めっ)する」という語呂合わせによる縁起かつぎがあるようです。

2月4日が立春で2月3日が節分。恵方巻は夜に食べる。

陰陽五行思想(古代中国思想の一つ)の影響を受けた中医(中国の伝統医学)では、陰と陽の気のバランスが崩れると病気になると考えます。

季節の変わり目は陰と陽の対立が激しくなり、体調が崩れやすくなります。特に立春の頃は寒気が強く、一年のうちで最も体調を崩しやすいことから、昔の人は立春前日の『節分』を行事にして、気を引き締めたのかもしれません。

2月4日が立春で2月3日が節分。恵方巻はしゃべらずにお願い事を心の中で唱えながら恵方の方角を向いてかぶりつく。夜に食べる事も忘れないでくださいね。

今年の恵方は東北東

特に受験生は第1志望校合格を心の中で唱えながら

h(=^0^=)/「鬼はぁ外ぉお~、福はぁあ内ぃい~♪♪♪」

とお願い事を心の中で唱えながら楽しんでくれたらなと思います。

節分の晩に見直しておいたところが出題された…というツキもあるかも知れませんよ。。。マジで(^_-)-☆

受験生は、粘って粘って粘り抜いて、自分の道は自分で切り拓け!!運勢(未来)は自分で作っていけるものです。しつこいようですが、体調を整えて、万全の状態で当日を迎えてくださいね。

最後の最後まで、皆さんの健闘を心よりお祈りいたします。

また京都が好きになりました

合格祈願 北野天満宮


新年、ちょっと落ち着いた感のある21日に京都へ

個別指導用のキャレルデスクを納品に行ってきました。

個別指導用キャレルデスク ホワイトボード付

今回設置させていただいたキャレルデスクは、講師と生徒1対1の指導ブースになっており、高さを1500mm卓面の幅を1350mm、側板900mmデスクの奥行500mmで製作し、前方にホワイトボードを仕込みました。

高さを1500mm・側板の奥行を900mmにしたことで、周りを気にすることなく落ち着いた環境で指導できるプライベート・レッスン・スペースとして活躍すると思います。

今回、弊社のキャレルデスクをご採用いただいたお客様は、教育プランナーとして、ご家庭のご希望に添った幼稚園や小学校選びのアドバイスや合格に向けての指導をされています。

どのような時代においても、子どもたちが心豊かに人生を過ごせる為の「真の人間力」を身につける為の教育を実践されているとのことでした。

長男の合格祈願に北野天満宮に

キャレルデスクを無事に納品させていただいた後に、時間がゆっくりあったので北野天満宮へ長男の大学入試合格祈願をさせていただきました。

祈 志望校突破!!

この時期にしてみたら暖かく、可愛い梅の花も咲いていて 気持ちよく参拝できました。合格祈願のお詣りもしてお守りも授かりました。後は本人の最後の追い込み!志望校合格に向けて本当に頑張って欲しいと親として祈るのみです。

招き猫がやって来た

初詣でお伊勢さん、
おかげ横丁での出会い

招き猫は、縁起物。 商売繁盛、金銭運、幸運な出会いなどを招き入れる縁起物として昔から愛されてき た

初詣にお伊勢さんに行った際、隣接するおかげ横丁のお店で、おもわず目に飛び込んだ招き猫に魅せられてはじめて買い求めました。

招き猫効果、いろいろ感じている

疎遠になっていた友人が事務所に訪ねてきたり、ワクワクするような商売の案件が飛び込んできたり、何かしら 全体的にラッキーに出会う流れのテンポに乗れている手応えがあります。

開運招福・千客万来など、私たちの願いが託された縁起物

ながめていると、ほんと愛らしくほのぼのとした気分に浸ってしまう。それだけでも幸運を運んでくれているように思います。

愛犬家の私ですが、愛くるしい大きな目に、光り輝く小判。今では招き猫ちゃんのとりこになっています(笑)

仕事始めしています

穏やかな正月を迎えられたここと思います。皆さんも家族サービスやら、ゆったりと寝正月などそれぞれ思い思いの正月を過ごされたのでしょうね。

昨年の仕事始めの際の投稿をまき直しします。

「 笑う門には福来たる。 」 (⌒∇⌒)

笑いの絶えない家庭や職場には、病気や思いもよらない災いなど寄ってはこないんだと思っております。☆元気な声で話をし、快活に行動する☆ことにお金はかかりません。

平成最後の年!今年も大いに笑い、元気に仕事したいと思っています。

 「 チャレンジ精神を持って仕事に励み、お世話になっている地域社会の発展に奉仕する心 」 を本年も大事にして、力強く邁進します。

仕事は、自分との出会いであり、社会の人々とのコミュニケーションです。仕事をするには、自分自身のことを知り、社会の人々のことを理解し、経験を通して、本当の自分を知って、自信を持つこと、、、、

本当の社会のニーズを知って、その信頼を得ることです。

革命の師、吉田松陰は、最期をその人の手にかけられても、それさえも己の「言成」至らぬ故と我が身誠尽くさぬと。そうして生きるその人なりが清いのであり、それが清き力であり他には何も要らないと見事に果てました。

清きその力の源には、必ず神が在り、その者には至極当たり前に、神の力が宿っているのだと思わせます。

:::なに悲観しての物言いでもなし。:::楽観至善、ただ 『信』 の一字にすべてを委ねて進むだけ

と、弟子たちに説きました。

人を憶うその力、またなに見返り求めるもなく、「清き」に徹していれば、そこに 『信』 の一字は、輝く力を放つ。

「仕事とは、 『信』 の一字に尽きる」ことを再確認して。  (-_-)」
///////////// 本年もどうぞ宜しくお願い致します。 /////////////

Neo-Bushido(新武士道)

Neo-Bushido(新武士道)

「武士道」は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。

東大合格者No.1の東京の名門、開成高校では国語の授業教材に『武士道』の抄訳が使われたりします。学校側が、この国のリーダーとなるべき人材に必要な素養だと考えているからでしょう。

倫理よりも経済、品格よりも拝金主義を重視した結果

たどり着いたのが今のこの国の姿です。生活するために経済・お金は大切ですが、倫理・品格とのバランスを失うと不幸を招きます。

他国のいいところは真似たらいいと思いますが、

悪いところまで真似る必要はありません。子どもたちが放射能に脅かされ、働き盛りの若者がまともに働くことができない社会、このような社会って考えるまでもなくおかしいでしょ。

「おれは頑張っている。政治が悪いんだよ。」と言って、政治のせいにして批判するのは簡単。しかし、国をつくっているのは一人一人の国民です。国民一人一人の総和が、国柄、国体になります。

子どもたちには最高の教育を施す

この国を良くするためには、ものごとを総合的にとらえることのできる優秀な人材を育てなければなりません。

教える側としては、「しばらくの間、自分たちは着たきり雀で、オフ(仕事外)の時間を削ろうと、子どもたちには最高の教育を施す」というような誇り高い覚悟が必要でしょう。

新渡戸稲造の『武士道』

新渡戸稲造の『武士道』に書いてあることは、大きく分けて二つあります。

一つは、克己。欲望を抑え、辛いこと苦しいことに耐え、自分を磨き高めること。名誉を重んじ、恥を知り、勇気をもって悪と戦うこと。もう一つは、公のために生きること、他人のために役立つこと、人を思いやること、そういう生き方が立派であるということ。

難しいことではありません。たとえば学生諸君にとっては、勉強を怠らないとか、ゴミをポイ捨てしないとか、級長や生徒会の役員を引き受けるとか、地域のお祭りのお手伝いをするとか、困っている人のために何かするとか、高齢者・年少者に席を譲るとか、そういうことから始まるわけです。自己中心的な考えから新しい武士道精神へ、大人も子どももシフトすることが、この国の惨状を解決する糸口になるはずです。

 

2002年度(平成14年度)から、いわゆる「ゆとり教育」が採用されました。

 

ところがその結果は、見るも無惨な失敗。最大の問題は、子供たちの学力の低下が顕著に表れてきたこと。たとえば、OECD加盟国の生徒の学習到達度調査(PISA)などの結果を見ると、点数も順位も明らかに下がる。そこで、これを契機に、学習指導要領を元に戻そうとする動きが始まり、「脱ゆとり教育」の流れが定着しました。

「教育の強靭化に向けて」では、学習指導要領改訂と”次世代の学校・地域創生の実現”の推進に向けた重点事項が示されました。

「ゆとり教育」に戻ることはない

さらに、2016年度の習指導要領改訂において、現行の学習内容を削減することはしないと文科省が「ゆとり教育」との決別を明言。学習内容を削減し、学力低下の一因を作ったとされる「ゆとり教育」に戻ることはないとした。高校は2017年度に改訂。その後、小学校の次期学習指導要領は2020年から、中学校は2021年から全面実施、高校は2022年から年次進行による実施を予定しています。

少子化が叫ばれる昨今、取り立てて資源を持たないこの国が生きていくためにはソフトウエア立国を目指すよりほかはないが、そうしたソフトの代表は教育であることからすると。。。。。

実に無駄な時間を浪費したものですね。 ( ̄- ̄=)あぁ…あ

 

民間教育に課せられる期待は大きい。

武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。

若者よ!これからの日本を牽引する気概を持って真の学問を希求して欲しい。そして、

真の学問とは、筆記できるものではないこと。真の学問は、行と行との間にある事を忘れないでほしい。

散る別れこそ/悲しかりけれ

すっかり親しんだ桜

 

”散る別れこそ悲しかりけれ”

ながむとて 花にもいたく 馴れぬれば 散る別れこそ 悲しかりけれ(西行)

の心境です。春の訪れに花を添えてくれた、桜との別れが少し寂しく感じられます。

そんな中、大半が遅咲きの八重桜のため、まだまだ見頃を保って桜の名所として知られる

大阪造幣局桜の通り抜けが今年も4月17日まで開催されます。

造幣局は、大阪に本局、さいたま市及び広島市に支局を持つ独立行政法人です。
日本の硬貨を製造している場所です。
場所柄、一般客の入場は厳しく制限され、事前予約なしでは工場内の見学もできません。
 
しかし、

桜の開花時期だけは、局内の桜を誰でも見学することができます。その通路が一方通行であること、見学のみで宴会などはできないことから、
『桜の通り抜け』と呼ばれています。

明治時代から続く春の恒例行事で、長さ560メートルの並木道で八重桜を中心に131種350本の桜を見ることができます。

花見=宴会というイメージを持つわたしなのですが、花見で泥酔するのは無粋というもの。ほろ酔いで桜に酔うのが風流な花見酒。コンビニ弁当を重箱に詰め直すだけでも雰囲気満点の花見弁当に。

風呂敷を使うのも素敵な演出です。ビニールシートではなく花ござを敷けば、桜の根本にも優しくて情緒たっぷり。ちょっとした会話にも「桜ことば」を散りばめたら、もう完璧です。

知っていますか?葉桜と呼ばれるさくらの葉は食べられるんですよ。

 

 

木の樽に平たく重ねて塩漬けにしたものを、さくら葉(さくらば)と呼び食用として利用します。和菓子の桜餅には欠かせません。他にはアイスクリーム、クッキーなどに混ぜ香り付けの材料として使用します。さくら葉の香りの成分は芳香属化合物のクマリンと呼ばれる精油成分に由来します。生の葉ではあまり香りはしませんが、塩漬けされることでその香りが出てくる訳です

桜ことばの例

*花時:見頃 *花盛り:満開 *桜狩り:花見に行く

*零れ桜:満開になって散る桜 *桜吹雪:花びらが舞い散るさま *桜影:水辺の桜が水面に映る様子 など

さて、潔く散ってゆく桜の花、このような美しい花とともに逝くことができたら、そう願ったのは平安時代末期の歌人、西行法師です。

願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ

西行と言えば、若かりし頃は北面の武士として院を護衛し、出家後は各地を巡って多くの歌を詠みました。その一つは、学生時代に皆さんも学んだ国語の教科書のなか、「万葉・古今・新古今」にも出てきます。西行の歌は、後鳥羽上皇の勅令で藤原定家らが編集した『新古今和歌集』に、最も多い94首入選しています。また、彼の生きざまは江戸時代の俳聖・松尾芭蕉に大きな影響を及ぼしました。西行は、詠んだ歌のとおり旧暦の如月(新暦では桜の花が咲くころ)に生涯を終えるわけですが、その生きざまに当時の人々はいたく感動したようです。恥、責任、潔さ、これらの心的要素に生きざまの美しさを感じるのかもしれません。

「花は桜木、人は武士」

と昔の人は言ったそうです。まだ桜と別れるのは名残惜しいですが、葉桜を見ていて、ふと、そのようなことを思いました。

最後に、葉桜は初夏(夏)の季語になります。

英語では、「a cherry tree in leaf」

名残惜しいですが桜の季節はもう終わりですね。新緑がまぶしい季節です。

* 花に嵐の *

今年は好天が続き例年以上に桜を楽しませてくれましたね。

日本人ならだれもが心を躍らせ、だれしも桜の花を見るとき、春を感じて浮き立つ想いとともに、何かしらの特別な感情や記憶が蘇るのではないでしょうか。

人生の大きな節目に春という季節、入学や卒業があり、就職や退職。

そのとき、その背景にはいつも桜。その時期の大切な1ページを華麗に彩ってくれます。

今朝、ふっと足もとを見ると桜の木の根もとに、散った桜の花びら

そんな花びらは土に帰り、次に咲く花たちの為の栄養になるんですね。 人々の大きな節目をまた祝うために、まるで世代交代をするバトンリレーのように。。。 私も一日一日、一年一年、良い種をまき、良い肥やしになりたいなって思いました。

 

「守破離」(しゅはり)という言葉を聞いたことがありますか?

とても有名な言葉なので、一度や二度は耳にしたことがあるでしょう。 「守破離」とは、芸術や茶道、武道等においての「師弟関係の在り方」について説いた言葉です。新年度のこの時に伝えておきたいと思います。

「守」は師匠から教わった型を身につけること、

「破」 は今まで教わったことに加えて、他の教えも取り入れていくこと、

「離」 は新しい世界を生み出し、独自のものをつくりだすことです。

 

「守」は、親から教わった型を身につける時期。 幼児から小学校の高学年ぐらいまでになるでしょうか。

「破」は、親から教わったことに加えて、他からも吸収していく時期。 思春期にあたります。

「離」は、精神的に親から独立し、自我を確立する時期。 早ければ高校生でこの時期に入るかもしれません。

 

新しいステージで、誰より早く結果を出して成績を上げたければ、誰より早く勉強の基本を身に付けることです。

そして、実力を早く身に付けるにはどうすれば良いでしょうか。それは、出来る先輩を徹底的に真似ることです。

何故なら、出来る人のノウハウは、貴重な成功や失敗の経験から最良の方法を追求してきた結果に他ならないからです。

先輩たちの経験を一つひとつ自身で体験を積み上げるのは不可能ですし時間もかかる。ならば今ある最良のノウハウを「真似て」身に付ける方が合理的というものです。

真似て、守って、身に付けて、完全に自分のものにした後に、「破」って、「離」れる

わずかな期間でめまぐるしく変化していきます。しかし自分のことゆえ、その変化に気づきにくいものです。

 

 

「一生の親友」 と、互いに 「認め合える同僚」 、また人生の師と仰ぐ 「恩師」 にもきっと出会えることでしょう。

週末の雨は、花散らしの雨となりました。

 

「 花に嵐のたとえもあるぞ

 さよならだけが人生だ 」 井伏鱒二

さよならだけが人生だから、今この出会い、時間を、大切にしよう!