Skip to main content

『無我夢中』

● 『道元の教えに学ぶ』

dogenzenji「多くの植物は冬に一定の寒冷を経験しないと、開花・結実しない。」(中略)「人生の開花・結実にも、同じことがいえないだろうか。」(倉嶋 厚「季節へのラブレター」より)

受験生にとって、サクラを咲かせる (=志望校に合格する) ためには、その前に厳しい冬の寒冷(=試練)が必要だということでしょうか。

★ さあ、12月です。  ////////// 試練のときがやってきました。 //////////

厳しい冬の寒冷(=試練)を迎えます。ここからは強い精神力・忍耐力が必要になってきます。タフでないと押しつぶされてしまうかもしれません。大きな夢の前には必ず大きな試練が立ちはだかっているもので、それに向き合い前進する者のみが、最後に大きな結果を手にすることができるのです。

次から次へとやってくるテストの結果に、打ちのめされそうになるかもしれません。そんなときは一人でくよくよ考えずに、経験者の知恵を借りるのも一つの方法だし、また、考えても仕方がない、やるしかないと開き直るのも一つの方法かもしれません。

遠方の知り合いの子で中学受験を目指す小6の男の子は、毎月隔週ペースでテスト攻めにあっているのですが、「たいへんやね」と電話で問いかけると、一呼吸おいて 「やるしかないからね」 と開き直って?いました。

禅宗の一派である曹洞宗(そうとうしゅう)の開祖、道元は

「自己をならふといふは、自己を忘るるなり」 と正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)・現成公案(げんじょうこうあん)のなかで言っています。

とかく人というものは、いいか悪いか、うまくいくか失敗するか、損か得か、好きか嫌いか、などなど、頭の中だけであれこれ考えてしまうものです。しかし、そのようなことは自分を基準とし、自分に執着しているからこそ起こる想念で、自分を忘れてしまえばそのような想念は本来起こらないわけです。

%e6%b0%b8%e5%b9%b3%e5%af%baeiheiji%e3%81%ae%e5%8b%85%e4%bd%bf%e9%96%80-jpeg-jpeg自分にこだわればこだわるほど、かえって、周りのものに振りまわされる結果になってしまう。ということは、自分を取り戻すには、自分についてあれこれ考えるのではなく、逆に考えるのをやめ自分を忘れてしまえばいいわけです。自分を忘れることによって、諸々の雑念が消え、いま自分が本当にやらなければならないことが見えてくるということもあるのではないでしょうか。

「自己をならふといふは、自己を忘るるなり」
(自分を会得するということは、自分を忘れることである)

本試験日に知識のピークがくるように、無我夢中で学問に没頭し 「夢・希望」に向かって志を貫徹せよ!!  (`ヘ´)

★ さあ、12月です。  ////////// 試練のときです。 //////////