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平成の終わりに

見送る時~迎える時を感じています。 新しい元号は、【令和】 発表された時、私は内側に清々とした風が吹いてくるように感じ、その瞬間に涙が、不思議ですね。「言霊」なのでしょうか……

平成最後の日になりました。

平成から令和へ

【令和】から、感じる内側の意識との出逢い。チベット語では「希望」を意味し、ラテン語では、「神からのギフト」そんな意味があるそうな。

明治以降日本は常に発展、成長を願い進んできました。文明開化、富国強兵、殖産興業。植民地支配。その結果、先の大戦では本当に大きな犠牲を払いました。戦後の高度成長、経済発展の時代は昭和とともに終わりました。これからは人口減少、高齢化。地方の衰退。外国人との共栄。ロボットやAIが働き、人の働き場所が変わっていく時代が来ます。

令和の時代の日本はグローバリズムから脱却し、独立したまともな国になれたらいいのになあと思います。そして自立した日本人の精神を取り戻すための足固めとして新渡戸稲造の「武士道」を今一度この時代の変わり目に読み直してみるのも良いのではないでしょうか。
アメリカの価値観に洗脳される前の日本の精神がそこには記されています。いろいろな意味で、今の日本に必要なものに出会えるはずです。


新渡戸稲造の『武士道』

新渡戸稲造の『武士道』に書いてあることは、大きく分けて二つあります。一つは、克己。欲望を抑え、辛いこと苦しいことに耐え、自分を磨き高めること。名誉を重んじ、恥を知り、勇気をもって悪と戦うこと。もう一つは、公のために生きること、他人のために役立つこと、人を思いやること、そういう生き方が立派であるということ。

それは論理を超えたもので、正しいことは正しい、間違っていることは間違っている、という善悪の区別を持つことが大前提なのです。武士の教育の目的は人格を作ることであり、頭がいいとか知的だとか、弁論に長けているといった能力はそれよりも重要ではないということ。アメリカなどで教えることはこの逆であり、だからこそ武士道をはじめとする日本の道徳を知った外国人は感動するのだそう。


新たな時代を創造

日本人の本来持つ、たおやかさ、優しさ、礼節……太古の天皇から受け継いできた内なる意識。5月1日新天皇即位。私達日本人は、【令和天皇】と意識をひとつにして新たな時代を創造していくように感じます。

散る別れこそ


すっかり親しんだ桜


ながむとて 花にもいたく 馴れぬれば 散る別れこそ 悲しかりけれ

西行

春の訪れに花を添えてくれた、桜との別れが少し寂しく感じられます。

そんな中、大半が遅咲きの八重桜のため、まだまだ見頃を保って桜の名所として知られる大阪造幣局桜の通り抜け


今年は4月15日まで開催されます。

明治時代から続く春の恒例行事で、長さ560メートルの並木道で八重桜を中心に131種350本の桜を見ることができます。

お花見に行きましたか?

花見=宴会というイメージを持つわたしなのですが、花見で泥酔するのは無粋というもの。ほろ酔いで桜に酔うのが風流な花見酒。コンビニ弁当を重箱に詰め直すだけでも雰囲気満点の花見弁当に。

風呂敷を使うのも素敵な演出です。ビニールシートではなく花ござを敷けば、桜の根本にも優しくて情緒たっぷり。ちょっとした会話にも「桜ことば」を散りばめたら、もう完璧です。

さて、潔く散ってゆく桜の花、このような美しい花とともに逝くことができたら、そう願ったのは平安時代末期の歌人、西行法師です。冒頭でも紹介しました。


願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ

西行

西行と言えば、若かりし頃は北面の武士として院を護衛し、出家後は各地を巡って多くの歌を詠みました。その一つは、中3国語の教科書のなか、「万葉・古今・新古今」にも出てきます。西行の歌は、後鳥羽上皇の勅令で藤原定家らが編集した『新古今和歌集』に、最も多い94首入選しています。また、彼の生きざまは江戸時代の俳聖・松尾芭蕉に大きな影響を及ぼしました。

西行は、詠んだ歌のとおり旧暦の如月(新暦では桜の花が咲くころ)に生涯を終えるわけですが、その生きざまに当時の人々はいたく感動したようです。恥、責任、潔さ、これらの心的要素に生きざまの美しさを感じるのかもしれません。

「花は桜木、人は武士」

と昔の人は言ったそうです。まだ桜と別れるのは名残惜しいですが、葉桜を見ていて、ふと、そのようなことを思いました。

名残惜しいですが桜の季節はもう終わりです。だんだん桜に葉っぱができてきました。 本格的な春の訪れ、花散らしの雨風はつきものと云えども恨めしいですね。


花に嵐のたとえもあるぞ 
さよならだけが人生だ


井伏鱒二

さよならだけが人生だから、今この出会い、時間を、大切にしよう!