信濃国上田藩そして松代藩の初代藩主として、明治まで続く松代藩真田家の基礎をつくりあげた真田家最大の功労者真田信之は、
「 常に法度の多きは宜しからず 」 と言ったと伝えられています。
あまりにも「幸村」が有名なので、目立たちませんが、智将と言われた、かの「真田昌幸」の嫡男であり、大阪の陣で徳川家康を追いつめた、あの「真田幸村」の兄です。
特筆すべきは、父と弟が苦しめた天下人「徳川家康」が信之を恨むのではなく、逆にその「誠実さ」を評価したことで結果的に真田家は幕末まで存続しました。
今、会社でも学校でも多くの人を統率する時は、必ず「規則」(法度)が必要です。しかしながら「規則」ばかりで縛ってしまえば、そこで活動する人達の自由な発想や考えを削いでしまい、リーダーにとっても「規則」に頼って現場を顧みず、せっかくのチャンスを活かせないでいることも多々あるように思います。この「常に法度の多きは宜しからず」にあるように、信之は常に現場主義で、時には公平・公正にとらわれず血の通った大胆な采配と、相手の立場になって考える感性がとても豊かだったのではないでしょうか?上役と部下が、また、師匠と弟子といった上下の者の考えていることを両方、バランスよく理解し、結果強者ぞろい群雄割拠の戦国時代を見事生き抜きました。
無機質で事なかれ主義の現代社会。
////////// 真田の本懐 //////////
が、生き残るカギかもしれません。 いくつもの局面を乗り越え、悩み苦しみ葛藤した過去が層となって重なっている。そんななかでも、ブレない軸、譲れない一線を貫き通したからこそ、「本懐」なのですね。
私の地元大阪上町。駆け巡って遊んだ大阪城や真田山。
幼き頃を思い出しながら、大河ドラマ「真田丸」を大いに大いに満喫し、タレント揃いの戦国武将の名言から多くのことを学びたいと思います。
そんな真田山。陸軍墓地は昔、真田幸村が大坂の陣の時に大坂城の出丸として陣地をつくり、徳川の大軍を迎え撃った古戦場跡に西南戦争、日清、日露戦争から、この太平洋戦争に至るまでの戦没者将兵を埋葬したり、お骨を預かっています。知っていましたか。
7月に入りめちゃくちゃ暑い。真田山にはプールも。
プールで、思いっきり泳いで冷め切った体に温かい食べ物を食べると、ほんわかします。あの感覚は今でも忘れられません。