桑名市にある浄土宗の寺院の書道教室の先生から、人が隠れるほど大きく、そして力強い 「書」 を賜りました。
『 念 ず れ ば 花 ひ ら く 』
苦しいとき母がいつも口にしていたこのことばをわたしもいつのころからかとなえるようになったそうしてそのたびわたしの花がふしぎとひとつひとつひらいていった
戦前の神宮皇學館を卒業し、国語教師として教鞭をとりながら詩作に従事した坂村真民(さかむらしんみん)、本名 坂村昂(さかむらたかし)の随筆集『念ずれば花ひらく』がもとです。
和歌などによるわかりやすい布教活動をおこなった一遍(いっぺん)の生き方に共感し、詩をつくった坂村真民。それは、道元禅師の言葉「花開けば必ず真実を結ぶ」に通じます。
一遍は、鎌倉時代に時宗を開いた偉いお坊さま。何ゆえ、時宗というかといえば、日常を臨命終時(臨終)と心得、常に念仏を唱える宗派ゆえに時宗。
踊りながら念仏を唱える「踊念仏(おどりねんぶつ)」が真っ先に思い浮かびますが、系統的には阿弥陀仏(あみだぶつ、サンスクリットではアミターバ)を信仰する浄土教の一派です。
したがって、浄土宗(開祖、法然)や浄土真宗(開祖、親鸞)と同系統になりますね。
この言葉の本当の意味は、何事も一生懸命に祈るように努力をすれば、自ずから道は開ける、夢や目標がかなう、という意味です。
また、「念」という字を分解すると「今」と「心」になります。これは「目の前にある事を一生懸命やる」ということです。言葉を換えて言えば「実践」することです。「念」とは、「今の心」であり、「今、目の前にある事を一生懸命やること」を表しています。
さらに「念じる」という言葉には「実践する」という意味があります。「今、自分にできること」を確実にやることが夢や目標実現につながる。長男だった真民さんは、母の苦労を目の当たりにして育ちました。でも、母は「念ずれば花ひらく」という言葉を子どもたちに教え、泣き言ひとつ言わず、子どもたちを育て上げました。
母が亡くなってからも、真民さんの母に対する感謝の気持ちは薄れるどころか、ますます溢れます。それが、上記の詩になりました。
私もせっかくの母の日に、「ありがとう」「感謝してます」これだけでも伝えたいです。
「念ずる」、それは心に「想い」という種を蒔くことです。その種が「行為」へと生長し、やがて「花」ひらく。小さい花もあれば、大輪の花もあります。春一番に咲く梅の花もあれば、晩秋に咲く山茶花もあります。心に蒔かれたそれぞれの想いに応じて、自分自身の将来が開かれるということです。
仏の教えが込められたこの言葉、 ●●● 念ずれば花ひらく ●●● 謙虚に求めながら、念じながら、感謝しながら生きていこう。