テレビなどを見ていると、自然と人に好かれる顔、あるいは自然と人に嫌われる顔ってあるよなぁ~って思います。
いったいこれはどこから生じてくるのでしょうか。
顔で性格を判断されてしまうとしたら、けっこう怖いなーと思います。
確かに性格は多少出るとは思いますが、いい人か悪い人かは人相だけでは分からないと思うんやけども。
例えば苦労が多い人生でしわが多いけど、そのぶんいい人かも知れないし。
前向きで明るい性格であれば、やっぱ人柄が顔に出る。
目というか眼球の光り方も気になります。
性格というか、どう生きて来たか、生き方が齎した性格みたいなものは、眼球の光り方に出てると思います。
意地の悪い人や危険な思考の持ち主など負の要素はヌラッとした鋭い光。
自己中だったり欲望の強い人はチカチカとかギラギラした光。
悩み深く乗り越えられないで生きて来た人は、重たく光らない。
明るく前向きで多少苦労はあっても受け止め乗り越えて来た人はキラキラ。
目の形や大きさ関係なく、眼球の光り方に出てると思ってます。
笑った形の目でも意地悪な人の眼球はヌラッとしてます。
これも人相とか顔相の範疇でしょうか?
人生は眼球の光に出ると思うのですが、みなさんはどう思われますか?
好かれる顔というのは、大きく分けて二種類あり、一つは、誰でも願わくばそのような顔に生まれてみたいという、清楚で目鼻立ちが整い魅力のある顔であり、あと一つは、誰でもホット一息付けるような安心できる顔ですね。
「40歳を過ぎた人間は自分の顔に責任を持たねばならぬ」(リンカーン)
顔には気力が表れるます。それも眉間の中央に。古来そこは「印堂」と呼ばれ、陽気の宿る所とされています。
日本柔術の流派である「竹内流」には、「印堂砕き」という必殺の当て身があり、気力の集中点を拳で狙い、一撃で相手を倒す技で、剣豪・宮本武蔵も、「体は自然体にして、気力を印堂に集めて敵に相対せよ」と、実戦的剣術修行から得られた極意として、印堂の使い方に言及しています。
ヨガでは、印堂を「チャクラ」と位置づけ、「第3の目」と呼び、印堂は、気力だけではなく、直感力・洞察力・精神性を司る場所であると考えられています。
仏像の眉間の中央に丸い印が描かれていたり、宝石が埋め込まれていたりするのもそのためですね。
印堂が綺麗で、光り輝いている人、眉間に凄みを感じる人は、運気が旺盛で、幸運にも恵まれるとされていて、眉間が黒ずんで力のないように見える顔を、「破相」と呼び、古人は嫌いました。
印堂につやがなく、黒ずんでいる時は、眉間の中央に人さし指を軽く当て、10秒ほどマッサージするといいそうですよ。気の流れが良くなり、印堂の運気が蘇ってくる。毎日続けるうちに、気力もみなぎるように感じます。また、印堂は、眼精疲労、頭痛、鼻炎、蓄膿症、不眠症のツボとしても効果的で、好相づくりには必須のマッサージだそうです。
//////// 今年も残すところわずか。 ////////
来年こそは、もっとキラキラと瞳を輝かせて好感を持っていただけるように、そして周囲の人たちがより安心して、私とお付き合いいただけるように、仕事にプライベートに自分磨きを積み重ねて参りたいと思います。
自分の顔に責任を持てる新年でありますように。
頑張ります!